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あひるの家

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『あひるの家の冒険物語』 第13話  細部に神が宿るポラン広場ネットワークを全国へ!Sec1


―海をながれる川を見に行く―

その日、ポランスタッフ4名と大地を守る会(大地)の徳江さん・西村さんの6名は、1台のワゴン車に乗って東北道を北に向かって走り出したのです。
朝食にと買ってきたパンやおむすびやコーヒーを食べたり飲んだりしながら、大地のことやポランのことを話したり、徳江さんのお父さんが窒素工場長をやっていた時育った水俣のことや、学生運動をやって刑務所で服役した時のエピソードなどを西原さんが語ったり、合い間には井上陽水の『おいで上海』や吉田拓郎の『落陽』やサザンの『いとしのエリー』などを大音量でかけ大合唱し、道中は大盛りあがりでした。
着いたのは宮城県奥松島、迎えてくれたのは180cmはあろうかという高倉健よりいい男の30才半ばの漁師二宮さんでした。
「さあ、さあ」と招き入れられた海辺の食堂の座敷には、殻付カキ・カキフライ・カキ鍋・カキのオイル焼き・酢カキなどの料理が並び、酒と焼酎の一升瓶が10本位用意されていました。
「これはヤバイ!」と体がこわばるのです。「さあ、今朝あけたばかりのヤツだから、やってください。グッとあけてバアッと食べてください!」「あっ、ありがとうございます… いただきます…」
ポランの連中を見るとチュルチュル、ズルズルとカキに食らいつき、酒をグイグイあおり、「ウマイ!ウマイ!」を連発しています。
「まいったなぁ…」と少しだけ酒を口にふくみ、カキをのみくだす。あわててテーブルを見回し、キュウリと白菜の漬物に手を伸ばす。ついでに味噌汁をのむと、なんとカキが顔をみせたではないか。急いで店の外に出たとたん、吐き出してしまったのです。海で顔を洗い口をすすいでも、100年ものの汚水を飲んだような臭いが口中に広がり、涙目になりながら、「カキなんか、酒なんか大キライだ!」とうめきながら海辺を歩いていたのです。
座敷に戻ると二宮さんが、「明日はオレのカキ場に連れていくからな。よーし、飲みにいくぞー」と声を張りあげているのです。連れていかれたのは少し大き目のカラオケスナックでした。
肌もあらわなネエちゃんが隣に座り、「えーっ、飲めないの。じゃあ歌おうよ」「いや、唄うのはどうも…」「うっそぉー、じゃあダンスしよう」「いや、踊ったことないもので…」「ダイジォーブ、わたしがリードしてあげるから」体を密着させて、ただ揺れているだけです。耳元でネエちゃんが「今夜どこに泊まるの?」とささやき、指先に股間にはわせてくるのです。体は反応するのですが、先程のカキショックで気が乗らないのです。
席に戻ると西原さんが、「代表の番だよ。ホレホレ」とはやしたてる。
「じゃあ、えーと、琵琶湖周航の歌を歌います」いっぺんに座が白け、この日は解散となったのです。
翌早朝、雹雨の中震えながら揺れながら小舟で沖合50メートル位のところまでいったのです。
「海が盛りあがっているだろ。川が流れこんでるんだよ。こういうところが最高の漁場なんだよ。だからうめえんだよ、おれのカキは」
「海を流れる川か」と、蛇が体をくねらせているような海面を見ていると、二宮さんが「さあ、どんどん食ってくれ。酒もあっから」と網をたぐりよせ、カキを手渡してくれる。ぼくは船頭の二宮さんの背に座り、回ってくるカキをどんどん海に捨てたのでした。「あ〜あ、終わった」と船を降りたら、「オレの加工場案内すっから」と3人のおばさんたちが薪ストーブにカキをのせて待っていてくれたのです。
帰路、2日間にわたる“酒とカキの日々”にうちのめされ、後部座席で寝込んでしまったのでした。
このように、大地とポランは産地を分かち合う関係を築いていったのです。ともにこの仕事をして10年余りが経とうとしていました。次のステージへのステップアップ・スケールアップが求められていたのです。
大地は“大地と海の連合構想”を掲げ、ポランは“ネットワークの開国開城”を掲げつつあったのです。大地は海産物・畜産物を紹介し、ポランは農産物・加工品を紹介し、ともに生産者・製造者を応援する協力関係をつくっていったのです。あひるの家の冷蔵棚には、牛乳・ヨーグルト・生クリーム(静岡・丹那)、豚肉・ハム(埼玉・入間)、ちくわ・カマボコ(宮城・塩釜)、牛肉(盛岡・山形村)、干物(静岡・内浦漁協)などが並べられ、売上げが急上昇していくのでした。
発足間もないポラン広場が急速な伸張を果たせたのは、大地のサポートに因るものだったのだと思うのです。

―あれから1年、わたしたちは…―

1985年3月第2回ポラン広場全国大会が吉祥寺の武蔵野公会堂で催されました。350名定員の会場は、座り切れないほどの熱気に包まれていたのです。“はじまる”“元気がでる”“勢いがでる”そんなことを予感させるものでした。
百姓たちも北海道〜九州まで70名程が集まり、畜産・水産・加工にたずさわる人も50名程になり、この間全面的なサポートをしてくれた大地を守る会から藤田会長をはじめ10名程がかけつけてくれ、一般来場者は200名程でした。
前夜から泊まりこんでいた関西・埼玉・東京のポランスタッフ50名は、交流会の飲食の準備や宿泊先との連絡や来場者の案内などを弾むようにこなし、満面の微笑を浮かべていました。
ステージには「細部に神が宿るポラン広場ネットワークを全国へ!」と記された横断幕が掲げられていました。
第I部 大野和興さん(農学者)「有機農業の未来は」
     金子郁容さん(一橋大学助教授)「未定」
第II部 生産者の紹介・会場での車座トーク
大野さんの話しが終わっても、金子さんが到着していないのです。
10分程して会場通路から壇上にかけ上がってきた金子さんは、ジージャンに白のスニーカー、レイバンのサングラスに両手にはハンバーガーとコーラというスタイルでした。
「すみません、遅くなっちゃって。授業が長引いちゃって、車とばしてきたんですけど。あっ、食事してないもんで、食べてもいいですか」と食べはじめたのです。
金子さんとの出会いは、増田書店で見つけた『ネットワーキングへの招待』(中公新書)という本でした。一橋大学に連絡し、つないでもらって、ジャックと豆の木で会ったのです。15年余りアメリカで大学生活を送っていた金子さんは日本語がたどたどしく、ぼくは英語がたどたどしいなんてもんじゃないので、なかなか会話が進みません。それでも、ネットワークの真髄のようなヒントをたくさんもらいました。
基本ベジタリアンの金子さんは、学生をつれてジャックと豆の木によく食べにきてくれました。本の出版を契機に「ネットワーク新時代の旗手」としてテレビ・新聞で注目され、その中でポラン広場のことも紹介してくれたりしていました。
そんな金子さんをみんなにも知ってもらいたいとお呼びしたのです。
ところが、会場の人達やポランのスタッフの多くが嫌悪の感情を抱いたことが伝わってくるのです。
「ヤベエなこれは。金子さん、やりすぎだよ」とオロオロしたのです。食べおえた金子さんは、
「今の社会で解決できない問題が3つあります。環境・医療・教育です。いずれも人間が主に関わっている事柄です」
「何故解決できないと思いますか?3つに共通しているのは多様性ですよね。取り組む組織に多様性がないからです。内部の質でしか外部と結べないということです」
「ピラミッド型組織の限界が言われはじめ、ネットワークがもてはやされていますが、和合と補完どまりです。ネットワークの最も大切な要素は、反論する関係をどうつくっていくか。それが最も重要なのだと思えるかどうかです」
アメリカでの様々なネットワーク活動のスタイルを紹介し、最後に「ポラン広場に期待できるかもしれないと思ったのは、さっきぼくが喋っている時も子供たちがステージに上がって走りまわっていましたよね。ポランのスタッフは当たり前のように見てましたよね。こういう文化は新しいと思いますよ。授業があるのでこれで」と、高く手をあげて壇を降りていきました。
拍手がわいたのです。ぼくたちの何かを刺激し、なによりも格好良かったのです。
休憩をはさむと、会場ではいくつもの車座ができ、生産者が持ってきたお土産を食べはじめ、お酒も持ちこまれ、集会は宴会と化していったのです。
案の定、会場管理者から「使用中止!即刻退去!」が通告されたのです。食べ物や飲み物をトラックに積み込み、宿泊所である新宿の早稲田奉仕園別棟に運び込み、30畳の部屋に100人を超す人たちの宴が続けられたのでした。
あふれた者たちは建物の外で車座になって飲み、眠たくなったらトラックの運転席に潜りこむのでした。
時はすでに2時を回っているのに、部屋の中は熱気というより狂気をはらみつつあるようでした。身体の中からいくつもの気泡が浮かんでは吸収され、また浮かんでは吸いとられていくようでした。
叫びだしそうになったぼくは外に出て生け垣に登り、満天の星を仰いだのです。月の光が凛と澄みわたり、ぼくは大きく肩を上げ、息を吸いはきだし、何度も繰り返すうちに涙がとめどなくあふれ、頬を伝わっていきました。
橙色の部屋の明かりと、聞こえてくるざわめきを眺めているうちに圧倒的な眠気がおしよせ、ぼくは底無し井戸に落ちていくように夢の中に引きずりこまれていったのでした。